はじめに(管理・仲介の現場で深刻化するカスタマーハラスメント)
内見対応、契約手続き、家賃の督促、原状回復や敷金精算をめぐるトラブル、近隣紛争の仲介など、不動産仲介・賃貸管理業務は、日常的に入居者・貸主・買主・売主といった多様な「顧客等」と直接向き合う業務です。近年、これらの顧客等からの理不尽な要求や高圧的な言動、いわゆる「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が深刻な社会問題となっており、不動産業界も例外ではありません。
公益財団法人日本賃貸住宅管理協会(日管協)が2024年12月24日から2025年1月24日にかけて会員企業2600社を対象に実施したアンケート調査(回答577件)では、「入居者から設備故障について『今すぐにやれ』と電話で怒鳴り散らされた」「入居者から従業員に対し解雇や土下座を要求され、それに応じない場合SNSでの拡散を脅された」「賃貸住宅オーナーから入居者が決まらない場合、自宅に呼びつけられ長時間正座を要求された」といった深刻な実態が報告されています。
こうした状況を受け、2025年6月4日に労働施策総合推進法の改正法が成立し、2026年10月1日から、事業主にカスハラ対策を講じることが法律上の義務として課されることになりました。本コラムでは、不動産・賃貸管理会社の実務担当者に向けて、改正法の内容と実務対応のポイントを弁護士の視点から解説します。
カスタマーハラスメントとは
クレームとカスハラの違い
改正後の労働施策総合推進法第33条第1項は、カスハラについて、「職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者」(顧客等)の言動であって、「その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたもの」により、労働者の就業環境が害されることと定めています。
一方、商品やサービスに実際に不備・瑕疵がある場合に、その是正や説明を求める行為、すなわち「正当なクレーム」は、カスハラには該当しません。2026年2月26日に厚生労働大臣が策定した指針(「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」)では、社会通念上許容される範囲を超えた言動の典型例として、要求内容自体に理由がない場合(例:性的な要求、労働者のプライバシーに関わる要求)や、要求を実現する手段・態様が相当性を欠く場合(例:暴行、脅迫、土下座の強要、著しく長時間に及ぶ拘束、同様の要求の執拗な繰り返し)が挙げられています。
実務上重要なのは、要求内容の当否と、それを実現する手段・態様の相当性の両面から総合的に判断する必要があるという点です。指針も、要求内容に一定の理由があったとしても、手段・態様が相当性を欠けばカスハラに該当し得ることを明らかにしています。
不動産業で起こりやすいカスハラの具体例
不動産仲介・賃貸管理の現場では、以下のような場面でカスハラが発生しやすいと指摘されています(公益社団法人全日本不動産協会・全日みらい研究所「不動産業におけるカスタマーハラスメント対策要領」〔2024年3月公表〕等参照)。
- 内見・物件案内の際、専有部分の内法面積をその場で実測させる、隣室や上階の生活音の程度を調査・報告させるなど、業務上対応困難な要求を執拗に行うケース
- 重要事項説明の誤りや契約手続上のミスを契機に、担当者個人への謝罪要求がエスカレートし、土下座や文書での謝罪、深夜・早朝を問わない架電・訪問を強いるケース
- 設備故障の連絡に対し「今すぐ対応しろ」などと電話で怒鳴る、長時間店舗や事務所に居座るケース
- 家賃滞納の督促や原状回復・敷金精算をめぐり、担当者を威圧する、SNSでの誹謗中傷や実名公表を示唆して脅すケース
- 貸主(オーナー)が、入居付けが進まないことへの不満から、担当者を自宅に呼びつけて長時間拘束する、土下座や正座を要求するケース
これらはいずれも、日管協のアンケート調査や全日本不動産協会の対策要領で実際に報告・想定されている類型であり、入居者・買主・売主だけでなく、貸主(オーナー)や取引先からのいわゆる「BtoBカスハラ」も、改正法上の「顧客等」の言動として規制の対象に含まれる点に留意が必要です。
改正労働施策総合推進法によるカスハラ対策の義務化
成立・施行時期(2025年6月成立/2026年10月1日施行)
カスハラ対策を含む労働施策総合推進法等の一部を改正する法律は、2025年6月4日に参議院本会議で可決・成立し、同年6月11日に官報で公布されました。施行期日は公布の日から起算して1年6か月を超えない範囲で政令で定めるとされていましたが、その後の政令により、2026年(令和8年)10月1日が施行日と定められました。
厚生労働大臣は、事業主が講ずべき措置の内容を具体化するため、労働政策審議会での議論を経て指針案を公表し、2025年12月11日から2026年1月9日までパブリックコメント(意見公募)を実施した上で、2026年2月26日、「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」を正式に策定・公表しました。
事業主に求められる措置義務の内容
改正後の労働施策総合推進法第33条は、次のとおり定めています。
1 事業主は、職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者(次条第五項において「顧客等」という。)の言動であって、その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたもの(以下この項及び次条第一項において「顧客等言動」という。)により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備、労働者の就業環境を害する当該顧客等言動への対応の実効性を確保するために必要なその抑止のための措置その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。
2 事業主は、労働者が前項の相談を行ったこと又は事業主による当該相談への対応に協力した際に事実を述べたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
これは、既に義務化されているセクシュアルハラスメント(男女雇用機会均等法第11条)、パワーハラスメント(労働施策総合推進法第30条の2)、妊娠・出産等に関するハラスメント(同法第11条の3等)に続き、カスハラについても同様の雇用管理上の措置義務を新設するものです。措置義務に違反した事業主は、行政による報告徴求命令、助言、指導及び勧告の対象となり、勧告に従わない場合はその旨を公表される可能性があります(改正後同法第42条等)。
対象となる事業主の範囲(中小・個人事業主も含む)
今回の措置義務は、事業場の規模による適用除外や経過措置は設けられておらず、労働者を1人でも雇用していれば、中小企業や個人事業主であっても等しく適用対象となります。不動産・賃貸管理業界は中小・個人事業主の割合が高い業界ですが、「小規模だから対象外」という扱いは認められません。指針は、業種・業態によりカスハラの態様が異なることを踏まえ、事業者の実情に応じた対応を求めていますが、対応の要否そのものを免れるものではない点に注意が必要です。
企業が講ずべき具体的な対策
方針の明確化・周知啓発
指針は、事業主が職場におけるカスハラに毅然とした態度で対応し、労働者を保護する旨の方針を明確化し、労働者に周知・啓発することを求めています。具体的には、社内報や社内ホームページ、就業規則等にその方針を明記し、トップメッセージとして社内に発信すること、カスハラの内容や対処方法(例:管理監督者への即時報告、複数名での対応、通話や対応状況の録音・録画、悪質な場合の警察への通報)をあらかじめ定め、研修等を通じて労働者に周知することが求められます。
相談体制の整備
事業主は、労働者からの相談に対し、その内容や状況に応じて適切かつ柔軟に対応するための窓口をあらかじめ定め、労働者に周知しなければなりません。相談窓口の担当者には、カスハラ該当性の判断が微妙な事案も含めて幅広く相談に応じられるよう、関係部門との連携体制の構築や、対応マニュアルの整備、研修の実施が求められます。不動産・賃貸管理会社では、現場の担当者が一人で対応せざるを得ない場面も多いため、本社・本部への速やかなエスカレーションルートを明確にしておくことが特に重要です。
発生時の適切な対応と記録化
カスハラの相談があった場合、事業主は事実関係を迅速かつ正確に確認し、被害者に対する配慮の措置(担当変更、複数人対応、被害者と行為者の引き離し等)を講じ、再発防止策を実施しなければなりません。その際、顧客等とのやり取りの録音・録画、対応経緯の記録化は、事実確認と再発防止の両面で有用ですが、個人情報保護法等の遵守にも留意する必要があります。記録は、後に警告書の送付や法的措置(出入禁止仮処分の申立て、損害賠償請求、刑事告訴等)を行う際の重要な証拠ともなるため、日頃からの記録化の徹底が実務上極めて重要です。
従業員を守るための法的対応(警告書・出入禁止・損害賠償・刑事告訴)
現場での初期対応にもかかわらず、悪質な言動が繰り返される場合には、以下のような法的対応を検討する必要があります。
まず、行為者に対しては、内容証明郵便等により、当該言動が社会通念上許容される範囲を超えるものであり、是正しない場合には法的措置を講じる旨を明記した警告書を送付することが考えられます。
次に、繰り返しの来店・来所や執拗な連絡が続く場合には、当該顧客等に対する店舗・事務所等への出入りを禁止する措置を講じ、それでも改善が見られない場合には、民事保全法に基づく接近禁止・面談強要禁止等の仮処分命令の申立てを行うことが考えられます。
また、当該言動により従業員に精神的損害や休業等の実害が生じた場合には、行為者に対し、不法行為(民法第709条)に基づく損害賠償請求を行うことも可能です。
さらに、暴行・傷害(刑法第204条・第208条)、脅迫(同法第222条)、強要(同法第223条)、名誉毀損・侮辱(同法第230条・第231条)、威力業務妨害(同法第234条)、不退去(同法第130条後段)など、犯罪に該当し得る言動については、証拠を保全した上で警察への通報・刑事告訴を検討すべきです。厚生労働省の指針も、これらの犯罪に該当し得る言動について警察へ通報することを対処方針の内容として明記することを求めています。
対応を誤った場合のリスク(安全配慮義務違反等)
事業主がカスハラへの対応を怠り、従業員の心身に被害が生じた場合、事業主は労働契約法第5条に基づく安全配慮義務違反として、債務不履行(民法第415条)に基づく損害賠償責任を問われる可能性があります。
この点、入院患者から暴行を受けて負傷し障害が残った看護師に関する医療法人社団こうかん会事件(東京地裁平成25年2月19日判決・労働判例1073号26頁)では、裁判所は、病院側について「看護師の身体に危害が及ぶことを回避すべく最善を尽くすべき義務があった」とした上で、ナースコールが鳴った際には自己の担当病室でなくとも「直ちに応援に駆け付けることを周知徹底すべき注意義務を負って」いたにもかかわらずこれを怠ったとして、安全配慮義務違反を認め、約2000万円の損害賠償の支払を命じました。
他方、コールセンターで視聴者からわいせつ発言や暴言等を受けた従業員が使用者の安全配慮義務違反を主張したNHKサービスセンター事件(東京高裁令和4年11月22日判決・労働判例ジャーナル133号36頁)では、裁判所は、使用者が「視聴者のわいせつ発言や暴言、著しく不当な要求からコミュニケーターの心身の安全を確保するためのルールを策定」し、これに沿った対応をしていたこと、無料の電話相談やカウンセリング、ストレスチェック等の体制を整えていたことを「総合考慮すれば」、使用者に「安全配慮義務を怠ったと認めることはできない」として、損害賠償責任を否定しました。
この2つの裁判例は、カスハラそのものの発生を完全に防ぐことはできなくても、対応ルールの策定・周知、応援体制の整備、相談・ケア体制の構築など、平時からの備えの有無が、安全配慮義務違反の成否を分けることを示しています。
不動産業に特有の視点として、安全配慮義務違反(労働契約法第5条)が認められた場合、宅地建物取引業法第65条第1項第3号にいう「他の法令に違反」する行為に該当し得るとの指摘もあり、監督官庁による指示処分や業務停止処分に発展するリスクも否定できません。加えて、改正法の措置義務に違反した場合には、行政からの報告徴求命令、助言、指導、勧告及び公表の対象となり得るほか(改正後労働施策総合推進法第42条等)、対応の不備が明らかになれば、従業員の離職や採用難、企業の信用低下といった経営上のダメージにも直結します。
当事務所がサポートできること
当事務所では、不動産・賃貸管理会社の実情に即したカスハラ対策として、次のような支援を行っています。
・就業規則・カスハラ対応マニュアル・相談窓口体制の整備、社内規程の見直し
・管理職・現場担当者向けのカスハラ対応研修の実施
・実際に発生した事案における初期対応(事実関係の確認、証拠保全)に関する助言
・悪質な顧客等に対する警告書の作成・送付代理
・出入禁止仮処分の申立て等の保全手続、損害賠償請求、刑事告訴に関する代理
・改正法・指針を踏まえた社内対応方針の策定支援、顧問契約による日常的な相談対応
2026年10月1日の改正法施行まで残された時間は限られています。指針が求める体制整備には一定の準備期間を要するため、早期の着手をお勧めします。
お気軽に弁護士にご相談ください
カスハラ対策は、従業員を守るだけでなく、事業主自身の法的リスクを回避し、顧客・取引先との適正な関係を維持するためにも不可欠な取組みです。自社の対応方針に不安がある場合や、既に具体的なトラブルが発生している場合には、早い段階で弁護士にご相談いただくことをお勧めします。当事務所では、不動産・賃貸管理業界特有の事情を踏まえた実務的なアドバイスを提供していますので、お気軽にご相談ください。
主な参考文献・出典
・労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律等の一部を改正する法律(令和7年6月11日公布、官報)
・厚生労働省「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(2026年2月26日)
・あかるい職場応援団(厚生労働省)「裁判例を見てみよう」第70回 NHKサービスセンター事件(東京高裁令和4年11月22日判決)
・あかるい職場応援団(厚生労働省)「裁判例を見てみよう」第71回 医療法人社団こうかん会事件(東京地裁平成25年2月19日判決)
・公益社団法人全日本不動産協会・全日みらい研究所「不動産業におけるカスタマーハラスメント対策要領」(2024年3月)
・月刊不動産(全日本不動産協会)2024年6月号「なぜエスカレートする!? 不動産業界のカスハラの傾向と対策」(宮川倫子弁護士)
・公益財団法人日本賃貸住宅管理協会 プレスリリース「賃貸住宅管理業界版『カスハラ対策ガイドライン』を発表」(2025年1月29日)
・国土交通省「マンション標準管理委託契約書」改訂(2023年9月)
・BUSINESS LAWYERS「2026年10月カスハラ対策が義務化!企業が講ずべき措置を解説」(2026年3月18日更新)
・牛島総合法律事務所ニューズレター「カスタマーハラスメント防止措置の義務化(2025年6月改正労働施策総合推進法)について」(2025年6月12日)
- 代表パートナー・所長
- 高橋 英伸
- 京都大学法学部卒業後、旧司法試験合格を経て2006年に弁護士登録。大阪市内の企業法務系事務所で15年のキャリアを積み、2021年に蒼生法律事務所を開設。相続・共有・所有者不明土地など空き地・空き家問題に注力。宅地建物取引士・相続アドバイザーの資格も保有し、不動産に関わる法的問題を総合的にサポートしています。
